2010年12月
2010年12月15日
12月25日枚岡神社で笑おう
▼ 2010/12/13 15:52
25日枚岡神社で笑おう
出で出で このついでに
楽しうなるよう語りて聞かせん
朝起き迅うして慈悲あるべし
人の来るをも厭うべからず
夫婦の仲にて腹立つべからず
さてその後に我らがようなる
福天に如何にも福を結構いして
さて仲秋には古酒を
いやというほど盛るならば
いやというほど盛るならば
いやというほど盛るならば
楽しうなるこそ芽出たけれ
アァーッハァッハァッハァッハァッ
アーハッハハ アーハッハハ アーハッハハ
大晦日の夜、誘い合わせて「福の神」へ向かう二人の男、毎年欠かさずお参りをするおかげで、次第に豊かになっていくような気がすることを喜び合う。参詣し、「福は内、鬼は外」と豆を打ち囃すところへ、福の神が姿を現す。酒好きの福の神はお供えの神酒を求め、二人の熱心な参拝を褒める。そして、豊かになる秘訣は心の持ちようで、朝早く起き、人に慈悲の心を持ち、来客は常に歓迎し、夫婦の仲では腹を立てず、その上福の神に酒をたくさん供えてくれるなら、どうしたって裕福にしてやらねばならないだろう、と言って楽しげに笑う。
浄土思想が浸透し、死後の世界・地獄への恐怖が人々を深く恐れさせた時代にあって、狂言はむしろ、今のこの世をどのように良く生きるかに心を砕いた。現世利益の神様が教えたことは、楽して得することではなくて、正しく賢く、思いやりの心を持って生きるならば、必ず幸福になるだろうということ、狂言の哲学がここにある。
25日枚岡神社で笑おう
出で出で このついでに
楽しうなるよう語りて聞かせん
朝起き迅うして慈悲あるべし
人の来るをも厭うべからず
夫婦の仲にて腹立つべからず
さてその後に我らがようなる
福天に如何にも福を結構いして
さて仲秋には古酒を
いやというほど盛るならば
いやというほど盛るならば
いやというほど盛るならば
楽しうなるこそ芽出たけれ
アァーッハァッハァッハァッハァッ
アーハッハハ アーハッハハ アーハッハハ
大晦日の夜、誘い合わせて「福の神」へ向かう二人の男、毎年欠かさずお参りをするおかげで、次第に豊かになっていくような気がすることを喜び合う。参詣し、「福は内、鬼は外」と豆を打ち囃すところへ、福の神が姿を現す。酒好きの福の神はお供えの神酒を求め、二人の熱心な参拝を褒める。そして、豊かになる秘訣は心の持ちようで、朝早く起き、人に慈悲の心を持ち、来客は常に歓迎し、夫婦の仲では腹を立てず、その上福の神に酒をたくさん供えてくれるなら、どうしたって裕福にしてやらねばならないだろう、と言って楽しげに笑う。
浄土思想が浸透し、死後の世界・地獄への恐怖が人々を深く恐れさせた時代にあって、狂言はむしろ、今のこの世をどのように良く生きるかに心を砕いた。現世利益の神様が教えたことは、楽して得することではなくて、正しく賢く、思いやりの心を持って生きるならば、必ず幸福になるだろうということ、狂言の哲学がここにある。